「この前歯は、抜歯するしかありませんね」歯科医師からそう告げられた時の衝撃と絶望感は、経験した人でなければ分からないほど大きいものでしょう。顔の中心にあり、笑顔の印象を決定づける前歯を失うかもしれないという事実は、多くの人にとって、体の他の部分を失うことと同じくらいのショックを伴います。しかし、なぜ歯科医師は、そんな辛い決断を下さなければならないのでしょうか。前歯の抜歯が避けられないケースには、いくつかの代表的な理由があります。最も多いのは、非常に大きく進行した「虫歯」です。虫歯が歯の根っこ深くまで達し、歯の大部分が崩壊してしまっている場合、もはや詰め物や差し歯で修復することが不可能になります。次に多いのが、重度の「歯周病」です。歯周病は、歯を支える歯茎や顎の骨を溶かしてしまう病気です。病状が進行すると、歯は支えを失ってグラグラになり、自然に抜け落ちるのを待つか、あるいはこれ以上周囲の骨にダメージが広がる前に抜歯するしかなくなります。そして、もう一つが「歯根破折(しこんはせつ)」です。これは、転倒や事故などの強い衝撃、あるいは神経を抜いた歯が脆くなることなどが原因で、歯の根っこにヒビが入ったり、割れてしまったりした状態です。歯根が割れてしまうと、そこから細菌が侵入して強い炎症を起こすため、残念ながら歯を保存することは非常に困難です。歯科医師は、あらゆる可能性を探り、なんとか歯を残そうと最大限の努力をします。その上で下される抜歯という診断は、苦渋の決断なのです。しかし、これは決して終わりではありません。現代の歯科医療には、失った前歯を、元あった歯と見分けがつかないほど自然で美しく回復させる、優れた治療法が存在します。抜歯は、痛んだ歯との辛いお別れであると同時に、新しい美しい笑顔を取り戻すための、治療の第一歩なのです。
前歯を抜歯しなければならないと言われたら